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第七話 70歳でのフィリピン移住は無謀の極みでしかない

フィリピンで老後

ローズプリンセスホームには藤井甚右ヱ門さんと言う方が住んでらっしゃいます。(当時)ローズプリンセスホームのフィリピン人介護士が、藤井さんに対してスプーンを近づけると、彼はそっと口を開き食べます。

食事をしている最中、フィリピン人介護士と藤井さんの間に会話はありません。隣に座った介護士とは視線も合わせずに、与えられる食べ物をモクモクと食べるだけです。

ローズプリンセスホームの一室で毎日見られる情景です。藤井さんは2000年からローズプリンセスホームで暮らしてます。入居後に脳梗塞になってしまい、右目と右手が不自由になりました。

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日本での貧乏老後よりもフィリピンでの老後を選んだものの…

脳梗塞の後遺症から右半身が上手く動かせないため、食事をする際には介助が必要です。本人にこのことを尋ねると「なんでかわからんが、右半身が上手く動かないんだ」と話します。

脳梗塞の後遺症によって体が不自由になっている自覚症状が無いのです。幸い痛みが無いのは幸いですが、相当不自由な生活です。藤井さんは英語、タガログ語とも話せません。

大変失礼かもしれませんが、海外で生活できるような言葉のレベル、感覚を持っているようには見えません。そんな高齢の日本人が70代後半になり、フィリピンの片田舎へ移り、フィリピン女性の介護を受けて暮らしています。

自分の老後をいろいろ描いている人は沢山います。しかし、どんな老後を描こうとも、藤井さんの様な生き方をせざるを得ない老人は沢山います。

「なぜ、フィリピンに来たのですか?」「う~ん…」としばらく考えながら言葉を探します。「金がないから」とポツリとこぼします。

フィリピンで老後

藤井さんは10代で太平洋戦争に徴収された経験がありました。子供の頃から体が弱く、軍での身体検査はかろうじて第2乙種でした。所属部隊には背の低い若者が集められ、周囲からおもちゃの兵隊とからかわれたそうです。

終戦は名古屋で迎え、その後に秋田に帰郷しました。親が用意したお見合い相手と結婚します。従妹の女性と結婚しましたが、たった1か月で離婚しました。

原因について尋ねると「ニヤリ」とするだけで、何も話しません。どこかしら変わった点がある藤井さんです。離婚後に東京に上京し、独身を貫き、68歳になるまで現役で働きました。

仕事は何度関わりましたが、最終的には卵焼きを作る仕事をして生計を立てていたそうです。

フィリピンに渡ったのは2000年で、70歳を過ぎていました。70歳を過ぎて初めて海外を経験し、更に移住までセットですから無謀と言えば無謀です。物価の安いフィリピンに関する本を読み、触発されたそうです。

藤井さんが受け取れるのは国民年金だけで、東京で暮らしていればすぐに貯金は底をつき、厳しい老後を迎えるのは明白でした。不足分は生活保護から貰うにしても、不安は尽きません。

そこで一念発起し、フィリピンへ移住する決意をしたのです。家族のいない藤井さんのフィリピン移住を止める人は誰もいませんでした。

続く

 

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