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第3話 日本のフィリピンパブとマニラで2億円貢いだ男

高度成長期の下町

満田はフィリピンパブに8年間嵌り、フィリピンの現地に嵌って5年が経過しました。その間に使った金は正確ではありませんが、軽く2億円を超えています。

フィリピンのマニラに毎月やってきては1週間滞在し、200万円を綺麗に使って日本に帰ります。そして、「今度は来月のいつ頃来れるかな」と思いながら帰国します。

これが満田の生活スタイルでしたし、生き甲斐でした。満田は天ぷら屋の主人をしています。東京でもかなり有名な高級割烹を代々経営していましたので、彼が跡継ぎになりました。

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満田は昔からませたガキで女性に縁があった

満田はフィリピンボケしていますが、東京では一流の日本料理店でしっかりと修行し、料理の腕は抜群でした。満田は昭和23年に、東京の下町で生まれました。

生後間もなく満田は有名な割烹料理店の息子として養子に出されました。満田の母親は彼を置き去りにして家を出てしまったので、養子に出されたのです。

子供がいなかった割烹料理店の夫婦に養子の話が来たとき、満田の父は「これで息子は一生不自由なく暮らせるだろう」と赤子の運笑みの強さを喜びました。

その後、満田は養父母から実子のように可愛がられて育ちました。

彼が性に目覚め始めたのは10歳の頃でした。昭和30年代、下町にも活気がみなぎり、中小企業の社長たちが随分と割烹料理店をひいきにしてくれました。

高度成長期の下町

ときには大企業が宴会に使ってくれて、毎晩、大勢の人の笑い声や女将が引く三味線の音が夜遅くまで響いていました。

板前、配ぜん係などが十数人が働いていましたから、夜になると、満田の世話係として従業員の娘が母屋に泊まりに来ていました。

娘と一つの布団で寝ていれば、自然にそういった関係になるものです。満田はそういった遊びを覚えてしまい悪ガキになりました。都会の隅っこにいるませたガキでした。

ガキの頃からませていましたので、女性ともいろんな機会がありました。しかし、満田が惚れたのは、弱視であまり目が見えない女性でした。ちゃきちゃきの江戸っ子で、しっかり者でした。

そんな女性のきっぷに満田は惚れ込んでしまったのです。彼女は修行に出た日本料理店の仲居の姉で、満田は積極的に口説いて一緒になりました。

満田は元々貰い子でしたし、当時の下町にはいろんな国の人間や、その他大勢の訳アリの人たちが住んでいました。ですから、弱視な女性がいても誰も眉をひそめることはありませんでした。

続く

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