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足立区竹ノ塚はリトルマニラと呼ばれた我々の聖地だった

フィリピンパブ

東京都足立区竹ノ塚と聞いて、心が躍る人とそうではない人がいます。心が躍る人は竹野塚のフィリピンパブに通っていた人でしょう。竹ノ塚にはフィリピンパブがわんさかと存在していました。

2005年まではリトルマニラと言われるほど盛況でした。竹ノ塚のフィリピンパブでフィリピーナに嵌った人は数千人、数万人規模で存在しているかも知れません。

1980年代からフィリピン女性は毎年8万人以上、日本にやってきました。殆どがフィリピンパブで働く女性たちです。このフィリピーナを多く受け入れたのがリトルマニラと言われた竹ノ塚でした。

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日本の衰退とともにフィリピンパブも衰退している

しかし、2005年の3月から日本政府はフィリピン女性の入国を厳格化しました。理由はアメリカ政府からの圧力です。アメリカ政府は日本がフィリピン人に対して人権侵害をしていると理由で圧力をかけました。

しかし、実際はフィリピン政府がイラク戦争に関与しなかったことをアメリカが激怒し、フィリピンの収入源を抑えるためだったと言われています。

2005年以降、フィリピーナ達は減ってしまい、いろんなフィリピンパブが閉店しました。もちろん竹ノ塚に沢山あったフィリピンパブやフィリピン料理店なども閉店してしまい寂しい地域になってしまいます。

フィリピンパブのお店は減りましたが、それでもある程度の店舗は残っています。残っているフィリピンパブで働くフィリピーナたちの殆どは中年です。

中には50歳を超えているフィリピーナもいて貫禄満載です。そんなフィリピーナは日本に来てかれこれ30年だそうです。今から30年前の日本に来ている訳ですから、バブル真っ盛りの時です。

日本企業が世界中で日本製品を売りまくり、日本バッシングが最高潮の時代だったと思います。ロックフェラーセンターを三菱地所が購入したとき、アメリカは激怒しました。

実は高値で買わされて、安値で売らされていますが…。

フィリピンパブ・竹ノ塚

あの頃に日本に来たフィリピーナ達は稼ぎまくりました。チップなど1万円が当たり前で、5万円、10万円をチップとして払う日本人も沢山いました。

今では想像つきません。マニラのKTVで日本人が渡すチップと言えば、せいぜい500ペソぐらいでしょう。下手すればチップも渡さずに、セクハラだけして帰る日本人が沢山います。

日本人がバブル崩壊以降、どれほど貧乏になっているかがわかります。

日本の全盛期にフィリピンパブで稼ぎ、フィリピンへせっせと送金し続け家を建てたフィリピーナは沢山います。しかし経済成長著しいフィリピンで稼いだ資金を運用して、さらに増やしたフィリピーナはごく一部です。

殆どが自宅やら飲食、見栄のために使い切り、今では昔と変わらない貧困生活を送っています。

竹ノ塚で稼いでいたフィリピーナは言います。「日本に帰りたいよ、日本に帰ったら稼げるから…」

彼女は竹ノ塚が以前のリトルマニラのままだと思い込んでいます。リトルマニラは高齢化し、風化してしまい、日本人にお金の余裕が無くなったことを知らないのです。

リトルマニラの竹ノ塚は今後も高齢化し、縮小してくのでしょう。

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