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No.6 フィリピンに2億円をつぎ込んでしまった二代目社長

フィリピン・スラム・サンタクルス

No.5 マニラなら貧乏な親父でも金持ち気分を味わえるの続きです。「日本の製造業の会社に入社し、30代半ばまで非常に忙しい毎日を送りました。中国、香港、フィリピンと飛び歩いて、まともな休みもなく、家に帰ればドロのように眠りました。

そんな生活に妻は愛想を尽かして出ていきましたよ。私の夢は日本で起業して、会社を運営することでした。小さな町工場からでも十分です。しかし、製造業も情報の時代です。貴重な情報はすぐに漏れてしまい、同業他社があっという間に真似てしまいます。

最高の品質で売り出しても、すぐに利益が取れなくなってしまいます。どうしても一人勝ちの商品が出てきてしまい、あとは全て負けのような状態が続きます」

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日本人はフィリピンから逃げることが出来ない

「日本で社長としてやっていくのは自分では無理だと感じましたが、フィリピンなら何とかなるのではないかと思いました。

フィリピンで工場を始めるときの大変さはハンパではありません。理不尽なことが横行する国ですから、毎日飲まずにいられませんでした。

毎晩通っていたKTVに今の嫁さんがいて、恋愛とかそんなものではなかったのですが、いつのまにやら結婚していました」と一流大学を卒業し、一流メーカーで働き、フィリピンで起業した男性が話していました。

フィリピンで起業して立派に成功している人もいれば、困窮邦人として落ちぶれて、ろくでもない人間に成り下がっている日本人もいます。

Mさんという方は、カビテでどうしようもなく落ちぶれているという噂が狭い日本人社会の中で広まりました。Mさんはフィリピンに来て2億円以上に使ってしまった残念な男です。

東京の高級割烹料理屋の息子に生まれて、有名な高級料理店で修行し、板長にまでなった素晴らしい料理人です。彼は父親から受け継いだ割烹料理店を閑古鳥が鳴く状態にしてしまいました。

理由は日本のフィリピンクラブに嵌ったからです。錦糸町や上野、西日暮里フィリピンクラブで1日に7万円を使い、遊びまくりました。

気に入ったフィリピーナには気前よく、10万円、20万円、50万円とポンポン渡してしまいました。フィリピーナが日本に帰る頃になると、自分が気に入ってようがいまいが関係なく10万円を渡しました。

彼が父親から相続した財産、自分で稼いだお金は、殆どがフィリピーナに吸い取られてしまいます。

当時、Mさんが通っていたフィリピンパブの店長は、Mさんがフィリピーナに新聞紙に包んだ200万円を渡すのを見ました、店長はMさんがなにか重い病気を抱えていているに違いないと思っていました。

命がそれほど長くないために、今持っているお金をどんどん使ってしまおうとしているように見えたのです。

KTV・マニラ・フィリピン

Mさんはマニラにやってくると1週間で200万円を使い切りました。自分が気に入ったフィリピーナには家と車を買い与えて囲っていました。フィリピーナを囲いながら、KTVやGOGOバーでも散財します。

Mさんはフィリピンがたまらなく面白いと連呼しながら、湯水の如くお金を使い、そしてマニラの下町に通いました。

彼が育ったところが東京の下町で人情が満載の土地でした。マニラの路地裏にも同じような場所がありますので、彼は子供の頃を懐かしんで路地裏を訪れていました。

一度フィリピンにハマった人はフィリピンから抜け出せないといいます。どうせ遊ぶんだったら、自分の店で遊びたいと思い、東京でフィリピンパブを経営することにしました。

M氏はフィリピンパブに沢山のお金を注ぎ込み、フィリピンパブに集中しました。そうすると本業である割烹料理屋が運営できなくなります。

味が落ち、営業時間が短くなり、ついには昼間しか営業しない定食屋に成り下がりました。

なぜ彼は、日本の男たちはフィリピンにハマってしまうのでしょうか。それは「なんで映画が好きなの?」と同じ質問です。明確な答えが出ない質問なのです。

続く

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