
彼はフィリピンに来てから、バターン半島にあるオロンガポへ行ったことがありました。彼が行ったころはスービックに米軍基地がありました。オロンガポは横須賀の様な基地独特の雰囲気を醸し出していました。
昼下がりの寂れた酒場、安っぽい刺繍のスカジャン小僧はどこかアナーキーになります。彼はそんな街に育ちました。強いモノへの憧れと、弱い者の痛みを両方飲み込んでいるような、子供の頃の感覚を取り戻していました。
そんな気持ちを思い出しながら、自動車の部品屋や組み立て工場が立ち並ぶカビテ州のアナギルド通りにパーツを買いに行った時のことです。部品屋の前に例のマークがあったのです。
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長い物には巻かれて賢くフィリピンで生きる
マークがある部品屋に入ると店の主人が話しかけてきました。「おぉ、兄弟よ」と話しかけてきます。彼がオロンガポの記念にとって思って買った結社のマークの入ったステンレスのブレスレットを身につけていので、「兄弟よ」と話しかけたのです。
彼は「いや違う」と答えると「じゃ、なんでそんなのをしてるんだ?」「このマークが好きなんだよ」「兄弟じゃなければしちゃダメだ」
主人は真っ直ぐに彼を見ながら「お前は俺たちの兄弟になりたいか?」と言いました。「それって何をやるんですか?」「それは言えない。なりたいのかななりたくないのかの二択だ」
「そりゃなりたいですよ、でも何をやってるのか知りたいんですよ」「それは言えないけど、素晴らしいのは間違いないぜ」
彼の友達のフィリピン人に秘密結社の事を聞くと、「入らない方がいい、髪を冒とくしているから」と忠告してくれる人もいました。しかし彼の心の中では、すでに入団を決めていました。
イミグレーションの留置所に入れられたとき、彼が捕まったことを知った団員が入国管理局の局長に連絡してくれました。たまたまその人は局長と大学の同級生でした。
その人が彼の潔白を証明してくれたおかげで、彼は一時間ほどで留置所を出ることが出来ました。もちろん賄賂なども一切ありませんでした。もし、オロンガポの自動車屋で主人に誘われてなかったら、さらに遡って子供の頃に秘密結社のマークに憧れてなかったら彼は留置所にいたままでしょう。
留置所から出ることが出来たとしても、二度とフィリピンに来ることはないでしょうし、フィリピンに対して強烈な嫌悪感を抱いていたかも知れません。
彼が異国の地のフィリピンでピンチに立ちながらもスリ抜けてきたのは、フラタニティ(共同団体)など親兄弟に等しいつながりを持つこと、身を守る一つの知恵だと感じていました。
フィリピンにはいろんなフラタニティ(共同団体)が張り巡らされています。警官や軍隊のオフィサーが作るフラタニティやクリスチャンのフラタニティ、ライオンズクラブ、ロータリークラブなど沢山あります。
続く
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