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第一話 フィリピン人を知るためにフィリピンの歴史を振り返る

ホセ・リサール・フィリピン

フィリピン人を知るにはフィリピンの歴史を学べと言います。私的にはスペインと米国の植民地だったぐらいしか知りませんので、少しフィリピンの歴史をまとめてみます。
 
1521年にマゼランがフィリピンのセブに上陸したときから始まります。300年間にわたるスペイン支配の後、アメリカに植民地にされ、第二次世界大戦後に独立しました。
 
フェルディナンド・マゼラン(英語: Ferdinand Magellan、1480年 – 1521年4月27日)は大航海時代のポルトガルの航海者、探検家であり、ポルトガル人であるマゼランが率いたスペインの艦隊が1522年に史上初の世界一周を成し遂げた。
 
ポルトガル語名(本名)はフェルナン・デ・マガリャンイス[註 1](Fernão de Magalhães)、スペイン語(カスティーリャ語)名はフェルナンド・デ・マガリャネス(Fernando de Magallanes, 名はエルナンドHernandoとも)。 スペイン語圏・ポルトガル語圏以外の多くの国では Magellan と綴るのが一般的である。ウィキペディアより
 
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フィリピンの歴史を振り返ると地名と由来が明らかになる

 
15世紀にイスラム教徒がボルネオ経由で入ってきて、全ての島が一瞬でイスラム化しました。1521年、マゼランがセブ島に到着し、ラブラブとの戦闘で死亡したのちに、スペイン軍が島を次々と占領しました。1571年にマニラを陥落する一方で、人民の懐柔策としてキリスト教を広めました。
 
[icon image=”arrow1-r”]ラプラプはセブ、マクタン島の長で勇敢な戦士として歴史に名を遺しています。ラプラプと言えば魚を思い浮かべますが、この英雄の名前を由来としています。
 
1860年になるとホセ・リサールを代表とする知識階級の自由民権運動が活発になり、1892年ポニファシオは秘密結社(KKK)カティプーナンを組織し1898年のフィリピン革命へとつながりました。
 
ホセ・リサールもフィリピンの英雄として称えられていて、自由民権運動の旗印として活動していました。1896年に銃殺刑に処せられました。マニラにあるリサール公園は彼から由来しています。
 
1898年アギナルドと手を組んだアメリカがフィリピンの混乱に介入し、米西戦争を勝利したうえで2,000万ドルでスペインからフィリピンを買い取りました。その後、アギナルドはフィリピンの大統領となり、アメリカと勇敢にも戦いましたが敗れ去り、フィリピンはアメリカの植民地となりました。
 
アメリカはケソン大統領を立てて政府を作りました。ケソン市はケソン大統領からとって名付けられた市です。
 
カティブーナン
 
1941年、第二次世界大戦中は日本軍がマニラを占有しましたが、抗日人民軍とフグハラップが抵抗をつづけました。フグハラップとはルイス・タルクによって組織化されたもので(共産系)、アメリカ軍と協力してフィリピン奪還の活動を行っていました。
 
1945年にマッカーサーがレイテ島に戻り、アメリカ軍はフィリピンを日本から奪還しました。1946年にはフィリピン共和国が発足し、第三代大統領ラモン・マグサイサイが戦後のフィリピンの舵を取りました。
 
マグ・サイサイは戦後、モンテンルパに収容された日本兵の帰国に力を尽くしてくれた親日派です。
 
1965年にはあのマルコス政権が発足し21年間大統領の座を守り続けました。フィリピンと言えばマルコスの独裁と言うマイナスのイメージが未だに残っています。イメルダ夫人の豪遊っぷりは世界中のマスコミを騒がせ、世界屈指のお騒がせファーストレディと揶揄されていました。
 
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