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No.14 1980年代、東洋屈指のエルミタ・マビニで遊んだホスト

1980年代のマニラ

お客さんの社長にフィリピンへ連れて行ってもらえることになったホストの彼です。男同士はこんな時にとても意気投合します。かなり儲けている社長ですから、ビジネス論はもちろん、教養や知識が豊富です。

そんな立派な社長と野犬のようなホストの彼が一緒にフィリピンへ行きますが、学歴も立場も関係ありませんでした。

彼はJOYを追いかけてフィリピンに行き、見事こだまされました。しかし懲りずにまた社長と一緒にフィリピンへ行くことになりました。まさにフィリピンへ確実にはまりつつあります。

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フィリピンのまばゆいばかりの夜の街に目が眩む

太陽に目を向けると目が焼けるほどの厳しい日差しのマニラです。当たりが少しずつ暗くなってくると、エルミタやマビニに日が灯ります。ロハスブルーバードに平行して、デルピラール通りとマビに通りというそれほど広くない日本の通りが走っています。

社長は当時のエルミタ地区の日本の通りに囲まれた一帯を指差して言います。

「ここはな東南アジア屈指の夜の街なんだよ。フィリピンには米軍基地があるからな」(1980年代の話ですので米軍がいました)

ホストの彼は社長が染み染みと話す言葉には耳に入らず、周辺にびっちりと並んでいるゴーゴーバーやKTV、日本食の店などに度肝を抜かれて見入っていました。

赤、黄色、青、緑、ピンクのいかにもな色のネオンが点滅し、話し声が聞こえないほどの音楽が辺り中から聞こえてきます。

1980年代のマニラ

「しゃちょ、シャチョ」と何度も声をかけられ、彼らは店に入っていきます。腰掛けると、まさに東南アジアの歓楽街といった雰囲気です。綺麗なフィリピーナから、小太りなフィリピーナまで沢山の女性が彼らを迎えます。

彼は酒を飲めますがあまりにも興奮しすぎたため、注文を取りに来た女性にコーラを頼んでしまいました。彼は英語がはなせませんですから、コークもしくはウォーター以外の飲み物が安心して注文できませんでした。

社長はフィリピンに彼女がいますので、夜の店にはそれほど興味がありませんでした。1980年代当時のマビニやエルミタといえば、ゴーゴーバーが数え切れないほどありました。

今のマビニやエルミタとは全く異なる街並みです。色んな店を覗いてはコーラを頼んだ彼は、お腹がパンパンになるほどでした。

日本とフィリピンの夜の街や夜の街に勤める人の違いは明るさです。日本で夜の街に働く女性の多くは、何からの問題を抱えています。多くは貧困であり、やむを得ず夜の街で働いています。

もちろんフィリピーナも同じような問題を抱えていますが、フィリピンのKTVやゴーゴーバーに勤める女性たちは明るいのです。

フィリピーナ達はどこまでいっても陽気で、人生を楽しむ術を持っているのではないかと思えるほど楽しんでいるように見えます。フィリピンの夜の街では国籍は関係ありません。

アメリカ人、ヨーロッパ人、日本人、中東など、色んな国の人間が鼻を伸ばしながら楽しんでいます。

1980年代のマニラ

ホストの彼が持つアメリカ人の印象は、背が高くて、きちんとした身なりの白人というイメージでした。しかしマビニやエルミタにいるアメリカ人の汚さとだらし無さはハンパではありません。

薄汚いジーンズを履いて、でっぷりと太ったアメリカ人の中高年の多さに驚きました。爪の中に泥が一杯詰まっている農家で働く日本人もいれば、昔のヒッピーのようなオーストラリア人もいます。

ホストの彼と一緒で、自分の国にいればうだつが上がらない男たちなのは一瞬でわかりました。日本、アメリカ、イギリスは世界三大通貨と当時言われるほどで、ドル、円、ポンドは無敵でした。

そんなお金を多くのフィリピン人達が虎視眈々と狙っていました。

続く

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