
フィリピンで困窮に陥ってしまって貧困層のフィリピン人に食わせてもらっている人たちは、貧困層に対して器が大きいフィリピンでもかなり迷惑な人達です。
浮浪者寸前の困窮邦人達はフィリピン人に迷惑をかけていますが、お金がありませんので大きな事件に至らないことが多いようです。
大きな事件に発展してしまうのは、フィリピンに大金を持ち込んだ嵌り組です。40代の日本人男性は日本で個人の宅配業を営んでいました。フィリピンパブのフィリピーナと結婚していました。
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フィリピーナを心から信頼すべきなのだろうか…
この日本人のお兄さんが亡くなったのですが、保険金が4,000万円入ったのでフィリピン人の妻に渡してフィリピンに運びました。申告していませんので違法行為です。
このお金でフィリピンに家を買いましたが、彼が日本で仕事をしている間に、フィリピン人の奥さんが男を作って子供まで産んでしまいました。
英語で書かれた書類にサインをして欲しいと頼まれてサインをしたところ、それは「財産のすべてを放棄する」という内容の書類でした。
そんなバカなと普通の日本人は思いますが、英語でかかれている書類に意味もわからずにサインしてしまい、とんでもない目に遭ってしまう日本人は後を立ちません。
とられた財産を取り返すべくマニラにやってきてすでに6ヶ月が経過していました。宅配業を営んでいる日本人は、JP(日比ハーフ)に法的に訴える方法を相談していました。
こういった話はフィリピンにうんざりするほど今も昔もあります。あまりにも同じような目に遭っている日本人が多すぎて、「またか」という言葉を思わず口にしてしまうほどです。
ある50代の男性はフィリピーナと結婚してマニラに住み、家を建てて暮らしていました。すると妻の父親がやってきました。父親はいきなり、自分と同じくらいの年齢の義理の息子にピストルを突きつけてこう言いました。
「出て行け、さもないとぶっ放すぞ」
結局、彼は新築の家と2台の車とトライシクル2台を巻き上げられてしまいました。
ある中小企業の社長は愛人を作ってマニラに家を買いました。フィリピンに来る口実が欲しくて、エルミタに貿易会社を作りました。会社用に車を買い、愛人のいとこだという男をドライバーとして雇います。
もちろん、社長の名義は愛人のフィリピーナです。しばらくは殆ど利益が出ない会社として存続していましたが、突然音信不通になりました。
社長は不審に思ってマニラに飛ぶと、家は売られて車も無くなって、全てが売却済になっていました。怒り狂った社長がいろいろ調べたところ、ドライバーとして雇った男は愛人の夫のフィリピン人でいた。
こうしたストーリーが山のように存在しますが自業自得です。ただ、お金だけの損害で済んでいますので、フィリピンではラッキーな部類の損害に入ります。
ここに恨みが絡んでくると、時として殺人事件に発展することがあります。フィリピンの貧しい生活の中には貧しきゆえの逞しさや、底抜けに明るい開放性があります。
しかし、嫉妬や妬みの感情は根深いものがあります。ちょっとしたいざこざや動機で刺してしまうなどよくある話です。
「赤ん坊のミルク代がないなんてときは特に怖いよ。子供のために必死になるからね…」とJPはしみじみと話します。
私達日本人が持つ恨み辛みとフィリピン人が持つ恨みは次元は異なります。実に他愛のないことで、一人で勝手に嫉妬して恨むフィリピン人の多さにはびっくりします。
なんでそんなことで恨まれなければならないのかと思うようなことでも、フィリピン人は恨みを持ちますので警戒が必要です。
続く
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