<スポンサードリンク>

No.4 フィリピンにハマった親父たちの多くは真っ当な人

フィリピン・マニラ

No.3 フィリピーナは愛を親父は金をお互いに提供しているの続きです。夫が日本人で妻がフィリピン人という結婚の組み合わせは、1989年頃から急速に伸び始めました。

  • 1993年…6,000組
  • 1995年…7,188組
  • 1996年…6,645組

6,000組から7,000組の日本人とフィリピン人が誕生しています。ちなみに外国人との離婚率は70%です。日本人同士の離婚率は30%ですから、国際結婚の難しさがわかると思います。

icon-arrow2-r-sいつもの応援クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ

<スポンサードリンク>

フィリピーナに惚れてフィリピンに惚れる

成田とマニラを結ぶ飛行機の中で、初めてくる日本、初めて会う沢山の日本人親父たちに緊張していたフィリピーナです。フィリピーナは柔軟性がありますから、日本に入国して数週間もすればすぐに慣れます。

昔で言うワンレンの髪をなびかせて、ミッキーマウスのぬいぐるみを抱いて帰国するようになったかと思うと、次は本当の赤ちゃんを抱いて、それが二人に増え、大型連休とも慣ればフィリピーナと子供で飛行機は満席です。

フィリピーナが日本のフィリピンパブで活躍したからと言って、マニラから夜の街が消えるわけではありません。マニラ市内から追放されたゴーゴーバーはパサイ、マカティに移動して営業しています。

かつてのようなアイタタ親父の団体客は見かけませんが、鼻の下を伸ばしまくっているイタイ親父達はマビニやマラテを訪れ続けています。

駐在員の一部や接待客、マニラで遊び慣れた日本からの観光客、フィリピンに住んでいる日本人など、いろんな男体が勝手知ったる様子で夜の街をさまよっています。

フィリピーナを日本から追いかけてやってきたアイタタ親父の多くは、フィリピンの空気なしには生きている心地がしなくなってしまい、完全に移住する人もいます。

1980年代の半ばから中高年の日本人がフィリピンに移住し始めました。こういった人は基本的にフィリピンにハマっている人たちですが、その数は年々増加していきました。

バブル崩壊によって日本が疲弊しても、中高年はフィリピンに移住し続けました。バブル崩壊によって多くの人が職を失ったり、給与が下がってしまい多くの日本人が路頭に迷いました。

フィリピン・マニラ

この厳しい現実にうんざりしてしまった中高年達は疲れていたのです。1990年代はじめから、2016年の今ままで日本経済は停滞したままです。

一部の富裕層はアベノミクスで資産を増やしましたが、多くの庶民はたいして給与が上がらず、税金や保険料が上がるばかりです。サービス残業は当たり前で、長時間労働によって沢山のサラリーマン達が体と心を壊してしまいました。

日本では一旦レールを外れてしまうと、なかなか復帰が難しいものです。落ちこぼれに対して優しい国ではありませんから、居心地がとても悪く感じます。フィリピンは貧困層が多いので、皆が貧乏で、ある意味落ちこぼれです。ですから落ちこぼれを受け入れてくれる土壌があります。

そんなフィリピンの土壌の心地よさを知ってしまうと、フィリピンに移住したくなってしまいます。きっかけはフィリピーナに惚れたことですが、フィリピンという国に囲ってもらうことで心を取り戻す中高年日本人がいます。

こういったフィリピンにハマった中高年や駐在員、在留登録をしていない怪しい日本人たちは20,000人以上と予測されています。

20,000人の中には多くのハマり組がいますが、一体どれぐらいの人数になるのでしょうか。長年マニラに住んでいる人が言うには、ハマり組や怪しい人たちは10,000人を軽く越えるそうです。

日本から何らかの理由で逃げてきた人や、犯罪者、暴力団など日陰組の他に、フィリピンで小さな商売をしてまっとうに生きている日本人もいます。

きちんとフィリピンで生きている人の多くは、実はフィリピーナを追いかけてきたハマり組です。魚屋、八百屋、床屋、警官、教員、技術者、お坊さんまでいます。

日本人が亡くなるとハマり組のお坊さんが駆けつけてお葬式をすることもあるそうです。沢山の日本人がフィリピーナやフィリピンにハマり、いろんなコミュニティが出来上がっています。

続く

<スポンサードリンク>

記事はお役に立てましたか?
応援クリックよろしくお願いします

 

dogeza2s
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ 

コメントは受け付けていません。

フィリピンニュース・更新情報


<スポンサードリンク>