<スポンサードリンク>

第六話 困窮邦人のカズユキがマニラに来た理由

バブル崩壊

カズユキが就職した頃は、今のように守られた環境ではなく、毎日激が飛び交う会社でした。社員をしごきにしごきまくって育てていく世代でした。

入社した日にいきなり1,000枚の名刺を渡され「ガンガン人に会って1分も休むな。電話から手を離すな。1週間で1,000枚の名刺を配り切れ」と上司から激を飛ばされました。

電話の手を休めて休んでいようものなら、支店長が灰皿を分投げてくることもありました。カズユキは大学時代にボクシングをやっていましたので、素早い身のこなしでひょいとよけました。

icon-arrow2-r-sいつもの応援クリックよろしくお願いします。
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ

<スポンサードリンク>

バブルで借金を背負ってマニラに来た日本人

入社当時には300人の営業マンがいましたが、数年後には100人にまで減っていました。入社して10年近く、彼もようやく中堅社員になりつつあるときに、日本経済はバブルの頂点に向かっていました。

飛び跳ねる魚群のような勢いで株価は動き、証券会社は常軌を逸し始めていました。1967年に田中角栄が5億円の賄賂を受け取ったとして逮捕され、日本中が大騒ぎしました。

ところが15年後の91年に大阪の料亭の女将、尾上が1兆3千億円もの借入をしていたことが発覚し、東洋信金だけでも総額7,400億円の架空預金証書をつくっていたというニュースを聞いても、金額に驚かなくなっていました。

東大卒の優秀な新日鉄の課長が40代で800万円、大手銀行マンの場合、平写真でも大卒なら20代で年収が1,000万円を超えてしまいます。

カズユキのバブルも絶頂期を迎えつつありました。34歳、年収1,200万円まで上りつめました。現実的な妻が家庭を切り盛りして、二人の子供がいました。バブルの波に乗ってさらに収入を得たいと思った彼は、友人と二人で人材派遣会社を設立しました。

バブル崩壊

実際の運営にあたったのは友人でしたが、彼は借金をして投資をしました。空前の人手不足でしたから、会社はうまくいきました。全てが順調に運んでいると思っていました。

銀行の不良債権は膨大なものになっていましたし、金利は上がっていました。金利が上がれば株価は下がるのが常識だと言うのに、あの時の株価はドンドン上がっていきました。

1990年代の大恐慌は日本から始まるという噂がアジア圏ではずいぶん噂されました。1989年の大納会では日経平均38,900円の最高値をつけてから、日本の株価はドンドン下がります。

翌90年の10月1日は20,000円を割り込むまでに暴落しました。金融公庫はもちろん、ゴルフ会員権などを担保にして、カズユキがノンバンクから借りていた金の返済が滞り始めました。

一時3,000万円もしていたゴルフ会員権は400万円までに下がっていました。全てを売っても7,000万円以上の借金が残りました。もうこれ以上、誰にも迷惑をかけられないと心に決めました。

金融に強い弁護士に相談すると、「う~ん、君は国外逃亡した方がいいだろうね」と言われました。妻とは離婚し、子供は妻が引取り、カズユキはマニラに来たのです。

続く

<スポンサードリンク>

記事はお役に立てましたか?
応援クリックよろしくお願いします

 

dogeza2s
にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ 

コメントは受け付けていません。

フィリピンニュース・更新情報


<スポンサードリンク>