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第七話 バブル崩壊後の日本よりも、マニラに魅力があった

フィリピン1980年代

日本でバブル崩壊によって抱えた借金から逃げるために、カズユキはマニラにやってきました。借金苦でマニラに逃げてくる日本人は結構います。

証券マンとして働いていた時の先輩が、マニラでゴルフ会員権の販売の会社を作っていました。カズユキは彼を頼りました。1992年1月の事でした。

フィリピンにやってきた当初、彼はフィリピン料理を全く口にしませんでした。理由は不味いからです。家賃が12,000ペソのコンドに住み、マカティにあるオフィスに通いました。

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フィリピンに染まると日本に戻りたくなくなる

1992年当時のマニラの電気事情は最悪でした。8時間の仕事のうち6時間が停電していることもありました。ファックスが使えず、電話もさっぱり通じない日々が頻繁にありました。

イライラしっぱなしで、「こんなとこでどうやって仕事するんだよ」とやり場のない怒りを抱えていました。ニューヨーク、ロンドン、東京と常に世界の動きが同時進行で入って来る日本のオフィスを懐かしく思いました。

フィリピンは暑い上に格式張らない国ですから、当時のラモス大統領でさえジーンズにポロシャツでマスコミの前に登場します。しかし、カズユキはいつもスーツにネクタイをしていました。

そうしないと彼は落ち着きませんでした。アタッシュケースを持って、スーツ姿で熱帯の街を歩くのは、フィリピン人からすれば異様だったでしょう。

KTVのフィリピーナが4年たったあとでも彼のことをよく覚えてました。それはカズユキがいつもスーツを着ていたからです。マニラに来て1年半たったとき、金の事で先輩と揉め喧嘩別れしました。

フィリピン1980年代

ゴルフ会員権の営業マンとしての生活が終わってしまったのです。日本へ帰国して仕事を始めようとも思いました。しかし弁護士は金がないなら話にならないと言います。

彼は仕方なく日本で半年間働きました。働いたと言ってもアルバイトなので、どんなに働いても、年収は微々たるものでした。借金を返済していくだけで一生終わってしまうレベルです。

こんな人生はつまらない、何とか大きく儲けることが出来る仕事がしたいと思いました。仕事はある程度波に乗らないと儲けがありません。バブルの後の日本では、波がやってきそうにありません。

1年半のフィリピン滞在によって、彼はフィリピンが持つ潜在能力によって、大きなチャンスを感じていました。というよりも、そんな風に理屈付け、自分を納得させ、フィリピンに戻りたかったのです。

日本に彼の居場所はすでになかったのです。

続く

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